新緑に誘われてこんなところに行ってきました。
大同2年(807年)に開坑という生野銀山。
「佐渡の金」に「生野の銀」と、日本史のなかで欠かせない鉱山です。
今は鉱山公園としてその遺構が保存されてます。
露天掘りの跡もあるのですがやっぱり地中深く掘り進んで採掘されておったのですね。
坑道の長さは総延長350キロ。深さは1000メートルにも及ぶというもので、
実際に坑道の中を歩いてみると想像以上のすごさにちょっと感動。
それこそ江戸時代までは全部人力=手掘り=だったんだもんなあ。
ここで昼食。「銀山定食」(^-^)Vブイッ!
うーん。普通の山菜うどんと同じように見えるけどなあ。
もっとも「金粉」ならぬ「銀のふりかけ」なんてのが出てくるとちょっと怖いけど。
おほほ
明治になって文明開化。
明治の始めに生野から飾磨港の間、約49kmを結ぶ道として馬車専用道路=銀の馬車道=が新しく作られたそうな。
当時のヨーロッパの最新技術を導入して造られた今の産業高速道路というもの。
正式には「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれたそうです。
いやあ、知りませんでした。ニッポンの高速道路は兵庫県が始めてなんです!
この道路のおかげで輸送は天候に左右されず、コストも8分の1にできたといいます。
もちろんこの道はいまではほとんど残っていませんがご当地では観光の目玉にしようと企画中。
ハイキングとかサイクリングでその道をたどってみる企画とか、
こんな列車も走ってます。
ここは福崎の町。
道幅の狭い、車一台通れるかなというこの通りが銀の馬車道だったところ。
街並みのなかにひっそりと残っているんですね。
生野の街もちょっと散策してみました。
鉱山から当時の工場までトロッコで運ばれたわけですがその軌道跡が残されてました。
石積の様子も欧風です。
繁栄した当時を忍ばせてくれます。
今の生野の街は静かな山間の町です。
新緑を楽しみに行ったのになんだか「オトナの修学旅行」みたいになってしまいました。